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アリュノ・グリューン『「正常さ」という病い』

「彼らは人間たちを撃ち殺すことができました――しかも完全に正常な状態で」という強制収容所の囚人の言葉から本書は始まる。殺害に携わった者たちは、特殊な洗脳を受けたわけでも狂乱状態にあったわけでもなく、ごく普通の精神状態にあった。本書は「正常さ」をキーワードに暴力を読み解く。「自己憎悪」こそが人間の破壊性の起源であり、こうして自分を愛せなくなった人間がことさらに社会に「適応」しようとすることから暴力は始まる。「正常」でない者は抹殺されてあたりまえだ、と。
そう、「正常」の概念はきわめて危険だ。もし乳がん患者が外見において「正常」でないと考える傾向が世の中にあるのならば、患者は自ずから一定の暴力の方向へ追いやられていくことだろう。もちろん殺害といった極端なことはないにしても、自己嫌悪や恥辱や偏見といった目に見えない暴力にはどっぷりとさらされるのである。「美」という規範の名の下に。だから、病気によって自分の何かが損なわれたと思うことは、自分自身を傷つけることであり、自分を他人に傷つけさせることであり、やってはならないことだと思う。

自分自身の内面生活を軽蔑しながら、既成の価値と形式とに順応させられていることは、日常的な暴力の汲めども尽きせぬ源泉である[...]。どの社会を見ても、自己はずたずたに損なわれたままだ。政治的イデオロギーが交替しても、自己の損壊の何かが変わることはないし、そこから生じてくる暴力の何かが変わることもない。(p.128)

「正常さ」という病い