ergo sum

健康ブログであるような、ないような

はてなダイアリーからの引越しにつきリニューアル模索中。

引き続きどうぞよろしくお願いします。

 「風邪ひとつひかない」とは・・・

この病気になるまでは、病気らしい病気をしたことがなかった。入院したのも出産のときだけ。家族が風邪をひいても、私だけ平気。だから「がん」と聞いて何かの間違いかと思った――こんな風に言うがん仲間が少なくない。私もそうだった。だがそれは私が他人より「健康」だったという意味ではなかった、ということが最近わかってきたように思う。
人より健康だったのではなくて、人より不調に鈍感だったのだ。よほど高熱でも出ない限り、自分の体の不調を感じようとしなかった。仕事や家庭のことであれをせねばこれをせねば、と意識ばかりが空回りし、無理やり体をひっぱっていた。いつも「疲れている」と感じていたがそれは仕事が多すぎるため、「ストレスがある」と感じていたがそれは職場にいやな人間が多すぎるため――と「外」に原因を見てきた。だから私自身によって「体」がいたわられるということがなかった。体の声に耳をかさなかった。しかも睡眠不足やストレスや深酒のせいで、正常な自己認識が恒常的に妨げられていた。そうした状態が10年続いた結果、体内環境が狂った。乳がんの病巣だけが異常で、ほかはピッチピチだったということもありえまい。血液環境の狂いが糖尿病なら、細胞や遺伝子レベルでの狂いががんであり、どちらも等しく生活習慣病なのだ。
バレエを習うと、ちょっとした骨格や体調のゆがみに敏感になる、とyoccyan様が書いてくださったが、それもよくわかる。退院してからは、今日は調子がいい・悪い、ということに気づきやすくなった。すくなくとも、目が痛い、腕がつかれる、頭が重い、と症状を分析してとらえることができるようになった。気分的にも躁状態のときとうつ状態のときの落差が激しくなって、それがそのまま体調の変化となって現れる。やっかいではあるが、これが本来のあり方なんだと思う。こういう状態をうまく使って、いい仕事をしていきたいなあ。
そういえば、上野千鶴子氏は絶対酒を飲まないそうである。脳の活動を曇らせることは、学者として自滅行為だから、と。しかし4,50歳代の社会人の中には、ストレスや責任の重さからアル中になりかけている人がけっこう多い。コイツはまずいでしょ、と思うような男が、うちの職場でも重役になっている(書類は誤字脱字だらけ、話すことは支離滅裂、他人の意見を聞けない・・・)。他山の石にせねばなあ。