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 松井真知子『アメリカで乳がんと生きる』

さすがアメリカで女性学で学位を取り、教鞭をとっているだけの人だと思った。社会制度と医療のかかわりをしっかりと調べて書いている。たとえば閉経前の白人女性と黒人女性の乳がん患者の生存率の差が何を意味しているのか。さらに閉経後の黒人女性の生存率はもっともっと低い。保険制度を享受するかしないかの問題であり、明らかに経済力や文化力の違いが生存率の違いを生み出すことがわかる。また日系人も一世は罹患率が少ないが、二世、三世は白人女性と同じだそうだ。つまり生活習慣が発病因なのであって、日本人は民族的に罹りにくいなんていう楽観的な話ではないこともわかる。挙げてあるアメリカの文献を全部読みたいと思った。乳がん的な生活様式をつくったのもアメリカなら、乳房崇拝文化をつくってそれに侵されているのもアメリカ人だし、乳がんを商業主義的に消費し、儲けているのもアメリカだし、他方インフォームド・コンセントや患者中心の医療の提唱もアメリカだし。そういうアメリカの構造がよく見えてきて、アメリカはがんの先進治療国なのだからアメリカの治療基準に従うべきだという、つい先日までの信念ががらっと変わった。たとえばアメリカが抗がん剤治療に積極的なのは、その科学的効果に皆が確信しているからではなくて、何万人もいる化学療法者の医者を食わせるためなんだな、とわかった(松井さん自身もホルモン陽性なのだから最初からタモキシフェンをやるべきではなかったか、という意見には同感)。だからといって日本の「自然崇拝」「医者崇拝」も、患者自身がその責任を(その身体で)とらねばならない由々しき問題なのだということも、みえてくる本だった。
象徴的なのは、この本の末尾についている、本著の企画者である上野千鶴子と近藤誠の「日本でがん治療を受けるなら」という対談。私自身も本文を読み終える前にこれを読んでしまったのだが、この本を大手の出版社が「売る」ためにつけたしたことが露骨に感じられる。命をかけた松井さん自身の真剣な「作品」を商業主義が損なっているように感じた。もっとも近藤による本文中の注はたいへんわかりやすくてよい。医学的な素人の本文とプロによる科学的な説明が見開き左側にあわせて読めるという、とても珍しく、とてもいい企画だったとは思う。
あとがきは99年。松井さんのことが気になる。再発し重篤な状態だと書いてある。さて今松井さんは生きているのだろうか。生きていてほしいと思う。
ps アメリカでは手術前に医者が、「あなたの好きな曲は何ですか?それをかけながら手術しましょう」と言ってくれるのだそうだ。全身麻酔の患者自身には聞こえなくても、無意識的に、というか身体が、それを聞くことができる。また医者が患者の嗜好や文化を尊重する気持ちでオペに臨むことができる。―――それにしたって、これこそがまさにアメリカ的な偽善ではないか。私がプロの仕事人だったら、少しでも仕事に集中するために、完全な沈黙のなかで作業をしたい。いくら患者の趣味だからといって、カントリーミュージックモー娘。などをきいて仕事するのはごめんだ。松井さんはバッハとコレルリを選択したらしいが。いっそのこと、ジョン・ケージとか、バルトークとか、そういうのもいいかもしれない。突然の騒音に手元が狂ったりして。

アメリカで乳がんと生きる

アメリカで乳がんと生きる