ergo sum

健康ブログであるような、ないような

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 ○○らしさ

入院してパジャマを着た病人になったとたん、人はこれまでの属性を失う。どういう会社のどういう地位のどういう出身のどういう学歴の…そんなことはどうでもよくなる。患者どうしにとって、あるいは医者にとっても、重要なのはその人の病気が「何」であり、どれほど深刻か、ということだけだ。いいかえれば「病人らしさ」だけが基準だ。その次に気になるのは、Aさんのおかずにだけ鳥カラが出て、糖尿病食のBさんにはガンモドキしか出なかったこと、くらいか。
社会的地位の放棄は比較的簡単にみんなが行う。「私はこれでも小さいながら会社を経営してまして」なんて人(男)は嫌われる。うちの義父は最も嫌われる類型で、病室の中でまで他人を差別しないと気がすまない男だった。お見舞いにきた私たちに、「隣のベッドの男は部○出身なんだよ」といきなり伝えたからだ。出自で人を差別したって、自分の病気が治るものでもあるまいに。それでもどうしても、自分を人よりも上だと思いたくてしかたのないのが人の性らしい。
そういう差別は克服したとしても、誰においても最後まで残るのが男らしさ、女らしさではないか。なぜならば、男らしさ女らしさは社会の全てによって、あらゆる人、あらゆる環境によって、公認されていると考える人が多いからだ。それには反対だが。