ergo sum

健康ブログであるような、ないような

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 人生の穴(その2)

「人生の穴」を覗き込む勇気のない人はどうするか。
穴に他人を叩き込んで、ふさいでしまうのだ。


soraさんの書いてた文句をつける人のことを考えた。肺がんで咳が出る人に「咳をするな」は「シネ」と言うのに等しい(対症療法の投薬でもしない限りは一生咳が続くだろう)。咳ばかりでなくて、手術後の感染予防のために患者は1時間おきに吸引器で痰を出さなければならないのだが、この音も上品とはいいがたい。もし「痰を出すな」と言われたら、感染症で死んでしまう。だから万が一次に入院するときは絶対個室にしよう、と思った。
入院していると普段の差別感情が増幅される。わかりやすかったのはうちの義父だ。がんの「疑い」で入院したので見舞いに行ったら、いきなりカーテンを閉めて斜め前のベッドを指差して「あの人はブ○クだ」と言い放った。嫌いなら面と向かって言えばいいのに、いわゆる社会的に成功している息子夫婦に言うことで、エリートとしての仲間意識を共有したかったらしい。私たちが「なるほど、ああそうですねえ、一方あなたは偉いですねえ」などと言うとでも思ったのだろうか。幼稚だ。大会社の幹部だったのが心細くなったのだろう(結局がんではなかったが)。
病気や入院によってショックを受け、自分のプライドが崩れる人ほど、他人に対して差別的になる。要するに、これまでつまらない人生しか送ってこなかったということだ。
個人の人生だけでなくて、災害などの集団的な「穴」のときも同じだ。関東大震災のときは、外国籍の人たちが放火したという噂が飛び交った。64年のローマの大火のときは、当時いかがわしい新興宗教だったキリスト教の信徒が放火魔だと断定され、ネロに処刑された。まったく同じだ。アイデンティティーが危機に瀕するほどの災害である場合、異なる民族、宗教、性別の人などを穴に落として、自分を守ろうとする。
そういえば福島の大震災のときは、(少なくとも私が知る限りでは)そういう大きな差別がなかったのはなぜだろう。放射能は日本全国同じ運命で、粛々と穴を共有したからかな。
(ただし、逆にイヤだと思ったのは、「放射能で将来子供が生めなくなったり、結婚できなくなったらどうしてくれるんですか」と中央の政治家に食ってかかった中学生くらいの女子がたくさんいたことだ。あなたの価値は出産しかないのか、と言いたくなった。自分で自分を被害者にしてどうする)