ergo sum

健康ブログであるような、ないような

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 自業自得

父は昨年秋の退院以来、地元で悠々自適の生活を送り、すでに半年が経つ。半年以上QOLの良い状態で時間が稼げたのだから、根治ではないにせよ、G病院での治療は効果を奏したと言えるだろう。
しかし昨日電話したら、こんなことを言っていた。「I病院で検査しようとしたら、普通のサイズの内視鏡が入らなかった。だから(以前の)G病院で見てもらうよう紹介状をもらった」
そもそも、なぜI病院?引き継いでもらったのは地元J病院のはずだ。父はそんな田舎の病院は嫌だと馬鹿にしていたから、違う病院に行ったのだろう。しかしI病院には病気のデータは何もなく、治療のしようもないから、以前入院していた大都会のG病院に戻そうとしたのだろう。父も自尊心をくすぐられ、まんざらでもないらしい。
「ええっと、G病院というのは、以前のように何ヶ月も入院して強い薬を試したり、積極的な治療をするための病院だから、今から行っても仕方ないよ。喉のつまりを治す程度の対症治療はどこの病院でもできるから、引き継いでもらったJ病院に行って」
いずれ食道の腫瘍が再び増大することは想定済で、どこにどの程度転移しているかが気になるが、そもそも病院を取り替えていては、経過観察もできない。
同じことはケアマネについても言える。最初に私が選任した人に対して失礼の限りを尽くしてしまい、辞任されてしまった。父からすれば、その年配の女性はただの介護スタッフにしか見えず、軽蔑すべき対象だった。ケアマネというのは国家資格を取得した、非常に重要なポジションの人だから、くれぐれも粗相の無いように、と注意したのだが無理だった。何が嫌だったのか聞いてみると、彼女が父の前で「息子自慢」をしたからだ、という返事だ。彼女にしてみれば、家族の話をするのは親しくなる手段だったろうが、なにせ、父は本物のサイ子だ。自分が世界で一番だと思っている彼にとっては、目の前で他人が自慢することは筆舌に尽くしがたい苦痛であるらしい。もちろん通常人だって、他人の自慢は快いものではないが、にこにこして聞くことくらいはできる。しかしサイ子は本当に耐えられない。
彼女の代わりの新ケアマネはかたちばかりの存在で、あまり手助けしてくれない。「そういえば、前の人は病院にいくときも車に乗せてくれたり、骨折のときは面倒見てくれたけど、こんどの人はしてくれないなあ」
今頃ありがたみに気づいても遅い。自業自得だ。
J病院にせよ、ケアマネにせよ、せっかく自分を引き受けてくれた人たちに対して軽蔑の念しかもてず、やっかい払いするのだったら、勝手にすればいい。苦しむのは自分だ。いずれにしても、今後はその新ケアマネのお世話になって、在宅介護かJ病院の入院を選ぶほかはない。
そういえば、先日大腸がんで亡くなった俳優I氏も、7回病院を変えたと報道されていた。事務所側はセカンドオピニオンを含めた回数だと弁解していたが、どうも怪しい。抗がん剤で苦しむたびに病院に不信感をもって、転院した様子だ。そして最後の病院では緩和医療も受けられなかったらしく、壮絶な苦しみのなかに亡くなっていった。「死にたくなるような苦しみ」ばかりが報道で強調され、がんについての誤解が生じかねないとして、廣橋猛という緩和ケア医がコメントを出したりしていた。
病気について勉強して正しい知識をもち、そして主治医に対して信頼をもつ。
このあたりまえのことができていない人が、案外多いのではないかな、と思った。医者もたいへんだ。