ergo sum

健康ブログであるような、ないような

はてなダイアリーからの引越しにつきリニューアル模索中。

引き続きどうぞよろしくお願いします。

 ペコさん

cypres2011-01-23

ブロガー仲間のペコさんが旅立たれました。いろいろな思いがあります。よく素人(=非患者)は「余命宣告よりは長く生きられたからよかったじゃない」というコメントをしますが、これは言われた方はむかつくと思う。そもそも余命宣告自体が、もんのすごく恣意的でいい加減なもの。人の寿命なんて神様しかわからない。その決められた寿命をまっとうしただけです。それより、より長かったわけでも、より短かったわけでもない。問題は、その特定の期間のなかにおいて、本人がどれだけ密度の濃い生を燃焼させられたか、なのです。そういうことに自覚的であったか、なのです。つまり人生は常に自己責任なのであって、寿命が人より短いから不幸であることが許されるとか、そんな甘えは、ありえないのです。
その意味ではペコさんは成功だったと思う。マッチポンプ&金儲け主義にとりこまれた「ピンクリボン」反対、薬剤承認のタイムラグなど、主張したいことをずーーーーっとブログ上で主張し続けた。語ることが彼女の仕事になっていった。そういえば、ほんとうは作家になりたかった、って言ってましたね。
語るだけならね、家族とか友人に語ればいいじゃない、って思われるかもしれないけど、違う。語りを「表」に出すこと、「公」にすること、これがどれほど大切なことか!ブログのランキング入賞と全国区化をきっかけに、新聞や週刊誌といったほんもののメディアにも登場して発言することができた。つまりそれはね、同じ思いをもっていながら、これまで孤島のように孤立していた人たちをひとつにつなぐっていうことなんだ。だから意味がある。そういうことを、マイノリティーであればあるほど、やらなけらばならない!わかる?男&健康&金持ち&地位&財産・・・こんな人間はいくらでも発信の場所があるわけ。超くっだらない自伝を中小企業の社長さんが豪華装丁で出版してたりするじゃないwww でも、ほんとうに発信すべきは、「普通は発信できない人」なの。なぜ自分の考えを公にできないのだろう、なぜ自分の思いがずっとプライヴェートな空間に閉じ込められてしまうんだろうーーーそこから問い始めなければならない。スピヴァクは『サバルタンは語ることができるか』で、インドの賤民サバルタンが根本的に語りえない構造を、美しい文章でまとめた。誰かがサバルタンにインタビューして「代り」に書いたとしても、それはもう、書いた人の文章であって、サバルタンの声ではない。言葉ではない。だから根本的に、語れないのだと。だから、サバルタンの誰かひとりが、いつかめざめて、無駄でもいいから、迫害を受けてもいいから、とにかく、どこかで、話し始めなければならない。
ペコさんのブログはちょうどその、「語り始めたサバルタン」として輝いていた。そしてブログが単行本化されたそうです。ぜひぜひみなさん、これを買ってほしい! そして第二、第三のペコさんが現れてほしい。そういやってつながっていければ、きっといつかはーーー病気へのくだらない誤解とか社会の矛盾や怠慢とか、そういうものが解消されていくと、信じたい。いや、信じなければならない。信じなければやっていけない。なによりも弱者は、「信じる力」を奪われているのだから。
http://pecochan.at.webry.info/

若年性乳がんになっちゃった!―ペコの闘病日記

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サバルタンは語ることができるか (みすずライブラリー)