ergo sum

健康ブログであるような、ないような

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 不快感を表明する権利

数日前に出張から帰ったが、この暑さと疲れでバテてしまい、ブログもご無沙汰になってしまった。
さて、今日は小さな話を一つ。職場の残業のあいまに、私が新人の人とたわいのない食べ物話をしていた。「ステーキにポン酢って合うよねー」というような。すると突然古参のA氏が「うるさい」とどなった。たしかにみなが空腹の時間帯だった点は申し訳なかった。だが堂々と不快感を表明する権利はこの人にはあって、私にはないんだよなあ、そんなことを強く感じ、腹がたった。うちの職場の上司やおやじたちは、平気でエロ話や女子の品定めをする。もちろん牛丼の味比べもゴルフのスコアの自慢も、なんでもござれだ。そういうことに対してはA氏は何も言わない。それでいて若輩者の女子が食べ物話をすると、キレる。
「相手が女だからいばっている」と私たちは普通に思うけれども、「女だから」をこちらから言ってしまうと、「女のひがみ」と受け取られる。しかも本人は「女だから」をあえて意識しないほどに、あたりまえのように女を見下している。だいたい「いばる」ってのは無意識的な行為なのだ(股を開いた偉そうな態度とか、あごをしゃくりあげるジェスチャーとかね)。だから罪悪感なんてない。その罪を指摘すると、身に覚えがないから、指摘した人間の人格に対して攻撃がくる。なまいきでわがままで攻撃的で和を乱す・・・これがだいたいの社内セクハラの構造ね。
だからとても文句を言いにくい。本当は加害者個人の人格を冷静に批判すべきだとは、思う。「食べ物という一般的な話題において、特定の話し手のときだけ感情を噴出させてその場の空気を険悪にするあなたは、非常に狭量だし、大人げない。一言「私もお腹がすいたなあ」と言えば済む話ではないか」、と。でも、そんなこと言う余裕はないなあ。バカにつける薬がないのと同様、オヤジの精神改革ができる薬も無いのだから(脳内を変える必要がないから、変わらんのですよ、彼らは)。
結局思うのだが、自分の不快感を表明する「権利」をもつのは、「より不快感の強い人(本当につらい思いをした人)」ではなくて、「より権力があって鈍感な人(いばってる人)」なのだ。つくづく思う。そうやって下々の者は、自分の不快感すら抑圧され、なかったことにされ、最終的には「権力者の感覚=自分の感覚」にされてしまうのだ(そういう抑圧が健康を蝕み、ひいてはガンを発生させるのかもしれない)。
そういえば、職場の小さな広報に、「たばこが苦手だが、それを周りには言いにくい」というような文章を私が書いたら、見事に却下されたっけ。編集係は福利厚生担当の年配の「喫煙者の」女性だったからだ(女子社員のティータイムの場所で、いつもプカプカ吸っている)。意識的な検閲とか職権乱用とかいうよりも、「およそ自分が他人に迷惑をかけている」とか「他人を不快にさせている」とか思いたくない、という率直な自己防衛だったんじゃないかと思う。