ergo sum

健康ブログであるような、ないような

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 がんサバイバーをやめよう …「十字架から降りなさい」

前回書いたように「がん」は呪いとして機能する。もちろん健康には気をつけた方がいいけれど、自分が「がんサバイバー」だと思うことはやめにした。
ちょうどクリスマスなので、デブラ・ジャービスさんの素敵なスピーチを皆様に贈り物としてお届けしたいと思う。がんだと診断されて「もやもや」している人は、ぜひ、この動画を見てほしい。


たまたまバスの中で出会った人に対して、簡潔に3つの要素で「自分」を説明せねばならないとしたら、あなたは何を取り上げるだろうか。趣味?仕事? 
その3つの中に「がん」は入っているだろうか。
多くの人はその種のトラウマを必ず入れてしまうのだそうだ(ほかにレイプとか震災とか)。


他人に病気を告白した途端、相手は「私」と接しているのではなくて、「がん」と接しているかのように変貌する。
それだけでも不愉快なのに、こんどは自分が自分を「がんの○田○子」だと名乗り始める。あたかもそれ以外のアイデンティティーをすべて失ったかのように。
これほど不幸なことはない。


デブラさんは牧師なのだが、乳がんになった途端、客たちから逆に説教され始める。

「いいかい デブラ 君は今 重要なことを 学ぼうとしているところなんだ。そう 君の人生は大きく 変わろうとしているんだ。今 君は死について考え始めたところなんだ。そう 癌は君に警鐘を鳴らしてくれたんだよ」
これらは当事者が自分の体験を語るうえでは金言であると言うべきですが、自分がどう感じるはずであるかを他人が教えるというのはばかばかしいことです。私が彼をこの手で殺さなかった唯一の理由は右腕が上がらなかったことですが私は彼にかなり悪態をつきました。

この一節を聞いて、私は大いに笑った。そして共感した。
いるんだよねえ、こういう説教くさくなる友達とか親戚って。

自分自身の体験を語りましょう。体験にあなたを語らせてはいけません。そうした場合あなたはそれにとらわれてしまうからです。そこに成長はありません。


そして最後にイエス・キリスト磔刑の話になる。
目の前の仲間たちに彼女は言う。
あなたは「十字架から下りなさい」と。
もう十字架の上は飽きたから、大地に降り立って、土の感触を踏みしめ、はだしで駆け回り、野の花の香を嗅ぎに行こうではないか!