ergo sum

健康ブログであるような、ないような

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 精神の「姿勢」

子どもに姿勢の注意をしていて、ふと思った。体の「姿勢」があるように、精神にも「姿勢」があるんじゃないか。
良い姿勢というのは、いつも空からピンと糸で頭頂部をひっぱられているような、まっすぐな姿勢。芯が通っているから、余計な筋肉には力がかからない。一方、悪い姿勢というのは、ななめで、歪曲していて、視線が下向きで、各所に無駄な力が入っている姿勢。
それで言うならば、私の精神の姿勢は、ものすごく悪かった(し、今も悪い)。横になれるところではもたれているし、頬杖をつけるところではついている。つまり、手をぬけるところではめいっぱい手を抜くし、人に頼れるところではめいっぱい頼るし、何より自分で自分を支えようとする意思がない。いや、誰でもある程度そうだとかいう弁解を求めているんじゃなくて、自分自身がこういう形で生きてきたことが腹立たしいのだ。なによりも、物事が正しく見れていないこと、視野が歪んでいたことが、くやしい。
体の姿勢であれば、それでも人目を気にしてある程度とりつくろえるものだが、心の姿勢は、人に見られないだけに、いくらでもだらけることができる。無限にだらけ得る。もう、そうなってしまっている人間が、私を含め、あちこちにいるような気がする。特に大病を経験すると、病人&被害者気分でますます心まで病んでしまう危険性があるように思う・・・こんな状態で人生の後半を送るのはいやだな。
さっきのyoccyannさんのコメントにあった「これでは義理がたちませぬ」と言えるような人物、あるいは古典のお芝居に出てくる竹を筋で割ったような人物類型、そういう人は心の姿勢がいいのだと思う。江戸っ子気質っていうのかな。そういえば、学童保育の保護者会で、話がぐちゃぐちゃになり、有力者がごまかして自分に都合のよいまとめ方をしたとき、「そうですか?私はそう思いませんが」ときっぱり言いきったお母さんがいて、ああ、この人はすごいな、と感じたことがあった。たしか、自分で八百屋さんを何軒か経営している人で、ほんとに筋が通っていた。さすが経営者だと思った。なまじ私のような、ハンパな営業&研究職が一番自分を甘やかしかねないと思う。
なおこれまでの経験で、「そうは思いません」と「わかりません」を自信をもって言える人はだいたい立派な人物だと思っている。医者を見分けるときもこれをキーワードにしている。(知ったかぶりをしたり、専門用語でごまかしたり、おまえ(=患者)のために言ってやってるという態度をとったりするのは、ダメダメ)