ergo sum

健康ブログであるような、ないような

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 喪のもたらすもの

母を喪ったロランが書き綴った手帳より。

けさ、サン=シュルピス教会の奥まで入った。建物のなかにいると、ただ広漠とした建築に陶然となる。−わたしはすこしのあいだ腰をかけ、無意識に「お祈り」のようなものをする。マムの写真の本がうまく書けますように、と。そして気がついた。わたしはいつも子供っぽい「欲求」によって前へ前へと引っぱられ、いつも願いごとをし、なにかを望んでいる、ということに。いつの日か、おなじ場所に腰をかけ、目を閉じ、なにも願いごとをしないようになろう…。ニーチェが言っていた。祈るのではなく感謝をするのだ、と。
そのようなことを喪はもたらすはずではないだろうか。
(バルト『喪の日記』p.141)

どうやって死の悲しみから癒えてゆくのか、いや癒えないままに昇華していくのか、そんな生々しい魂の軌跡がこの本です。クリスマスに臨み、yoccyannさんにこの文を捧げます。
ロラン・バルト 喪の日記