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 人情と親心の危うさ

親子の「人情」の次には、きっと親分の子分に対する「人情味」や、元首の国民に対する「御仁慈」がでてくるでしょうし、わが国はもう一度「大家族国家」となり、そうなれば「万邦無比」にもなりかねないでしょう。そこでは政府でさえも、人民に「親心」を示すにちがいありません。民主主義とは、政府を人民の親と考えるどころか、人民を政府の親と考える思想ですから、こういう人情主義と民主主義とが同じ頭のなかでどうつじつまを合わせているのか、全く不思議なくらいです。(加藤周一『文学とは何か』p.67)

義理人情という言葉が大嫌いなのだが、加藤さんの文を読んでいて、よくわかった。義理や人情は「縦」に人間関係をとらえるものだからだ。一方、本当の人間理解というのは、あるいは民主主義というのは、「横」の関係性にほかならない。「縦」の関係は、実際には支配・服従の関係であるのに、あたかもそれを「良いもの」であるかのように思わせるレトリックが親子関係だ。まだまだ悪い意味で儒教道徳が日本には根付いていると思う。
そしてそういうことに日本人自身は無知で、外国の方がさっさと気づいて、日本支配の道具にする。マッカーサー(=米国)が戦後日本の「父親役」を買って出たように。そして日本人は一も二もなく、その「親」に帰依し、尊敬し、憧れ、無条件に言いなりになる。自分たちの幼稚性を「良いもの」としながら。

文学とは何か (1971年) (角川選書)

文学とは何か (1971年) (角川選書)

幼児化する日本人―戦後日本の大衆心理