ergo sum

健康ブログであるような、ないような

はてなダイアリーからの引越しにつきリニューアル模索中。

引き続きどうぞよろしくお願いします。

職場のごたごたはまだ収まりません、長引きそうです。誰かがアホな発言するたびに、「お、今がん細胞が10個増えた」「うわー、分裂を始めた」などと心中でぼやいてます。

1989年に初めて福岡地裁に訴えられ、セクハラの語が世間に浸透した段階に男マスコミがセンセーショナルに書き立てたいろいろな誤解がありますが、うちの職場はそっくりそのレベルの発言が幅をきかせてます。17年前だぞ…
(会議の言説) → (飲み会での本音)
・ほんとに事件があったかどうかなんてわからない → 若い女が上司を訴えるなんて百年早いわ
・いつなんどき自分も加害者になるかもしれない → だから訴えられなくしよう
・女が不快ならそれがセクハラ → 訴えた女に報復しよう
・男をやめさせるわけにはいかない → 男は皆優秀なんだ、わかったか
・風紀取締りは自由の侵害だ → これからもセクハラするぞ〜
・職場の和を乱すからよくない → 権力に逆らうヤツはつぶしてやる
・これでは自由に物を言いにくくなる → 俺たちが主流派なんだぞ、わかったか
・人権人権とおおげさに騒ぎ立てるな → 女には人権なんかない

女性は社会に存在する女性差別のために、秘書や受付係、派遣労働者としての働き方を余儀なくされたり、補助的な仕事をしながら職場を「明るくする」役割を往々にして担う。そうした職種は、正社員であっても低賃金で、「取り替え」可能だ。パートタイムや派遣のような雇用形態ならばなおさらだ。そのような事態が、彼女たちを性的な圧力に対して弱い立場にし、しかも女性たちのアシスタント的な役割、「女性性」を期待される役割は、性的に近づきうることを示している。もっとはっきり言えば、性的に利用可能な存在であることがそもそも役割の一部に含まれているのだ。 (牟田和恵『実践するフェミニズム』岩波, p.56より)

実践するフェミニズム