ergo sum

健康ブログであるような、ないような

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 『エビータ』

子どもと一緒にミュージカル『エビータ』を見に行った(当日会場に子どもは息子一人だったが)。子ども向けの芝居やミュージカルは概してつまらなく、また役者や舞台の質が低いので、むしろ私が見たいと思うものに喬を連れて行くことにしている。『エビータ』を見れば、政治や社会が「何」で動いているのかわかって、いい経験になるだろうと思ったのだ。「独裁者」と「女」と「労働者」で説明がつくアルゼンチンのケースは、ある意味で単純だし、わかりやすい。事前にストーリを説明してやる。
「貧しい生まれのね、お勉強も何もしていないエヴァっていう女の子が、大統領夫人になって、貧しい人のためにいろいろといいことをしてあげるの。でも33歳で死んじゃうの。わかった?じゃあこのお話の見所は?」
「みどころ?」
「見てて面白くて大事な部分」
「えっと、見所は、エビータがどうやって偉くなるか、だね」
おお、けっこうわかってるな、こいつ、と思った。そして実際のミュージカルでも、エビータが色仕掛けで男たちを利用していく様がはっきりと描かれている。貧しい生まれで、しかも教育を受けていない女の子は、「女」しか売るものがないのだ、ということが子どもにもわかっただろう。
で、がん患者としての「見所」はといえば、彼女が33歳の若さで子宮がんで亡くなったことだろう。腫瘍のでき始めたのが仮に10年前だとすれば、故郷を出帆してから最期までずっとがんと共存していたことになる。「スーツケース一つを抱いて」、ペロンとの出会い、などのメドレーを歌いながらも、ああ、体の中ではアレがどんどんと成長してるんだな、と感慨深く井上さん(エビータ役)の姿を見ていた。身体一つで渡ってきた彼女にとって、そうした地位こそが身体に対して大きなストレスを課しただろうことは容易に想像がつく。
病気がわかって、彼女はどうしたか。「副大統領にしてくれ」と大統領の夫に頼むのだ。告知を受けたらおいしいものでも食べてのんびりと温泉に、なんてことは考えない。自分が政治的存在であることを自覚し、極限まで上に上り詰めようとする。それは男にありがちな名誉や権力への執着とは少し違う。自分の最も輝けるかたちは自分で決める。自分にしか決められない。そういう執念だと思う。
そうして、足腰立たなくなってもラジオの前で演説し、「アルゼンチンよ、泣かないで」を歌う。文字通りの絶唱。「泣かないで」は「私が死んでも泣かないで」の意味で、そう言い切れるほどに自分を愛し、国民を愛せたのは、かっこいい。ロイド=ウェーバーの美しいメロディーも、この文脈あってこそ、生きてくるのだ。それを堪能できたので満足だ。
蛇足だが、骨粗しょう症の薬エビスタの名は彼女からとられたそうだ。