ergo sum

健康ブログであるような、ないような

はてなダイアリーからの引越しにつきリニューアル模索中。

引き続きどうぞよろしくお願いします。

 新春のご挨拶と「フレディーの脚」

新年おめでとうございます。

昨年度は超気まぐれ更新になってしまい申し訳ありませんでした。それでもなお訪れてくださった方々には、心からお礼を申し上げます。
皆さまが助けてくださることに甘えてはいけない、と思いつつ、その叡智にいつも支えられ、なんとか生きています。
皆さまもどうぞ、穏やかで充実した一年を過ごされますように。
昨年はご不幸のあった方も、悲しみが浄化され、今年は落ち着いて前に進まれますように。


年末はNHKで放映していたガブリエル・マルセルの「欲望の哲学史」に感銘を受けたので、いずれまとめたいなと思っています。

さて、いろいろとアップしたいと思っていたのにできずにいたことを、新春第一弾で実行したい。
それはフレディーの脚だ。
生き方とか音楽にも感銘を受けたのだが、妙にはまってしまったのが、フレディーの姿勢の美しさだ。
脚が長いというだけでなくて、まっすぐ伸びていて、その脚の上にしっかりと上半身が載っている。
脚の長さだけならばブライアン・メイも同じく長いのだが、フレディーの姿勢は別格だ。
両足を開いて片手を上げた、あの有名なポーズも、アラインメントが完璧で、手足が外へ向けて互いに引っ張り合う、見事な均衡を保っているから美しい。
脚の上に骨盤が完璧に載っているので余計な肉がつかず、お尻が引き締まっている。
だから細身のジーパンやレザーパンツを穿いても絵になる。
しかも股関節が柔軟なので、歌いながらスクワットみたいなポーズも軽々とできる。
勝手に想像するならば、彼の大好きな、マイクを股間に当てるポーズも、おそらくあそこに体の重心があることと関係するのだろう。
股間上というか、下丹田というか、ある種エロティックなものも含めて、すべてのエネルギーはそこから発するし、それを原動力に、人間は動くのが本来なのだろう。


私の体の正反対だったので、とても憧れた。
目や指先といった末端から動く歪んだ体を直すことで、精神も健全になるような気がする。
よし、フレディーの脚を今年の目標にしよう。


だが、フレディーは晩年HIVのために、あの脚を切断してしまう。
悲劇的なことだ。
映像で脚を見る度に悲しくなる。


ps.クイーンの筋金入りのファンの友人と話したら、あの映画は「ファミリー向け」に脚色されたからダメだとか、HIVの公開はライブエイドの後だとか、当初別の監督と別の俳優で企画されたとか、いろいろ文句を言われた。だが、クライマックスのライブに向かっていく、あの圧倒的な時間の流れこそ、本当にカタルティックで、すばらしい体験だった。心のなかの扉が開かれたことに感謝だ。