ergo sum

健康ブログであるような、ないような

はてなダイアリーからの引越しにつきリニューアル模索中。

引き続きどうぞよろしくお願いします。

 8時40分

「思ったより引きずらないで済んだ。8時40分だよね」
息子がぼそっと言った。
何かのはずみで鼠の話になる度に、お互いつらくなるから止めよう、と言って話題を変えるのだが、あるとき息子はこのように言った。
「何が?」
「もいが死んだ時間」
「あれ?そんなにはっきり時間を言われたっけ?」
人間なら死亡診断書のために死亡時刻を特定する必要があるが、動物にはない。朝、病院に着いた頃には死んでいた、または、死んだ直後だった。何時ごろ心臓が止まったのですか、と私は医者に聞いたが、「ついさっき」というようなお茶を濁した答えだった。夜中まで面倒を見てくれたとはいえ、当直の医師が一晩中付ききりでいてくれたとは思えず、早朝に起きたらかなり悪かった、ないしは既に死んでいた、というのが現実ではないかと内心思っていた。鼠の体はまだ温かかったが、それは直前まで生きていたせいなのか、(なかなか来ない家族のために)医師が気を使って温めてくれたせいなのか、今となってはわからない。
朝の7時過ぎに自宅に電話をもらい、夫と私はすぐに身支度したが、何度呼んでも喬は起きなかった。ようやく病院に着いたのが8時40分だ。
「―――ううん、その時間に死んだことにしたの。じゃないと病院に預けたこと、後悔するから」


鼠の死を一方的に私のせいにして気を晴らしたのかと思っていたが、そうでもなかったようだ。最後の晩を我が家で一緒に過ごせなかったことや、早起きしなしなかったせいで死に目に合えなかった(かもしれない)ことなど、彼なりに心残りはあり、それを自分流のやり方で解決したようだった。
そういえば息子は、とても繊細な一方で、芯は強かった。そのことを久しぶりに思い出した。誕生時も、臍の緒が幾重にも首にからまっていたが、生まれたみたらアプガースコアは9.9というすばらしく元気な赤ちゃんだった。
最近は受験関係で彼はまずい精神状態に陥っており、私との関係も険悪だった。悲観的な性格の私は危機感を募らせて、密かに心療内科をネットで調べたり、メンヘル関係の本を買い込んでは読み漁っていたのだが、もしかしたら、もうその必要はないのかもしれない。


彼には自分で自分を治す力があった。
あ、鼠と同じだ。