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 「紫の薔薇の人」って…

きのうyahoo.comicで『ガラスの仮面』を全巻読んでしまった。私は漫画を読み出すと、止まらない。学生時代に読んでフォローしていたのは19巻目くらいだが、このまえ最新刊の43巻が書き下ろしで出版されて話題になっていた。さすがに最後の方は、美内すずえ氏がライフワークとするだけの迫力があって、とくに「紅天女」の作品そのものもよかった。大量に血を吐きながら演じた月影先生、幕と同時に絶対亡くなるんだろうな、と予想していたら、なんのなんの、その後にしっかり回復されてるじゃないか。うん、がん患者としては、なんだかうれしかったぞ。とにかく、すぐには死なないだけのしぶとさが大事なんだ!根性だ!
さて、マヤを陰から見守って、紫の薔薇を送り続ける謎のファンが、実は社長の速見だとわかり、二人は敵対する立場ながら運命の恋に落ちていく。マヤの恋を知った月影は、「これでまた芸の幅が広がる」と大喜び。つらい恋であればあるほど月影的には大歓迎らしい。そういえば亜弓さんも、以前恋する女を演じるために、わざとどうでもいい男をひっかけて恋人ごっこをして、そして捨てたっけ。
「男」を芸の肥やしにするのは結構なことだが、「紫の薔薇の人」的発想って、ようするにシンデレラ願望そのものじゃないか、と気づいた。昔は私も「紫の薔薇の人」に憧れたんだけど・・・お金持ちの(←ここ、ポイント)男が、どこからか自分を見守ってくれていて、いつかは結ばれる、ってゆう、ほとんど信仰に近いものが、女の子にはある。美人でもお金持ちでもない私だが、いつかは王子様に「選ばれる」という確信。それって実はすごく危険じゃないだろうか。愛される根拠が「美」でも「金」でも「血筋」でもないんだから、結局自分が「道徳」的にすぐれているくらいしかとりえがないわけで、その「道徳」ってゆうのは、ようするに良妻賢母的な道徳。謙虚で素直で、おそうじやお料理が大好きな自然体の女の子、なわけでしょ? ディズニーのプリンセス映画系もこぞって、王女の「掃除」や「料理」シーンを入れてるしなあ・・・おいおい、ふつう王女は掃除なんかしないよ、とつっこみたくなる。興味のある人は「眠りの森の美女」を見て欲しい。
つまり「玉の輿願望」を逆手にとって、女の子を保守的な価値観にがんじがらめにしようとする社会的陰謀なんだと思う。本人にとっては、それが自分にとっての「利益」だと思うからやるんだけど、実際にはなんの利益にもならない。現実にはくだらないサラリーマンの妻になって、「風呂」「めし」の世話、つまり服従させられるだけ。自発的にその道に追い込んでゆく、典型的な支配の構図だ。
ついでにいうと、41巻くらいで、マヤと亜弓が本音で殴り合いの喧嘩をするシーンはとてもよかった。亜弓はマヤに言う、

ずっとあなたが目障りだったわ。いつも劣等生みたいなその態度もきらい 卑屈なものの言い方も大っきらい…![...]いつも自信なさげで上目づかいにひとのこと見て、卑屈ったらありゃしない…![...]やっぱりあんたなんか、つり橋の上で見捨てればよかった。

いやいや、マヤに対してみんなが思っていたことを、ずばっと言ってくれた亜弓様、さすがです。でも現実は、卑屈で、自信なさげで、上目づかいに人をみる、それが王子様獲得のための定番の「みぶり」なんですよね・・・私としては亜弓のほうに味方したいなあ。「天然」である必要はない。自覚的に努力した人間が勝つ世界であってほしい。
ガラスの仮面 (第41巻) (花とゆめCOMICS)