ergo sum

健康ブログであるような、ないような

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 『ポニョ』赤い金魚の不気味さ

ぽ〜にょぽにょぽにょ 人面魚
まあるいおなかの メタボな子

と子供が歌っていた。こういう替え歌が学校で流行っているそうだ。
テレビで頻繁に流れるこの宮崎アニメの主題歌だが、私は嫌いだ。
第一に、トトロと同じメロディーで、商業的成功というサブリミナルな効果を確実にねらっている。芸がなさすぎる。
第二に、2オクターブにわたる歌いにくいメロディーを、わざと子供に下手に歌わせている。いくら子供でも、練習すればもう少し音程を正確に歌えるはずだ。しかしながら、「女の子・動物」という組み合わせは、聴き手に「かわいい」以外の一切の感情をもつことを禁じ、私たちは無理やり賞賛させられてしまう暴力のようなものがそこにある。秋には全国の小学校の運動会の入場行進やお遊戯やダンスで小学生がみんなで「ぽにょ」を歌い、CD代でジブリががっぽりもうける様相が、あからさまに目に浮かぶ。
第三に、あの金魚映画そのものがグロテスクだ。「ニモ」ならば「魚」なので、まあいい。だが「ぽにょ」は何よりも「女の子」であり、人魚姫と完全に同じ構造で、「man 男=人間」に憧れる存在だ。あの魚のどこが「女の子」かというと、一つには顔、そしてもう一つが赤いひらひら。宮崎アニメが少女のパンチラを覗き見する男の嗜好でなりたっている、ということは斉藤環若桑みどり氏が主張する通り。で、金魚のくせに、それ以前に女の子であることを強調される身体を赤いひらひらが象徴している。主題歌を歌う少女は赤いスカートをはいているので、この連想は明らかだろう。赤いミニスカートを金魚のヒレに代えて、そこまでしてあんたたちは「少女」の身体をフェティッシュに鑑賞したいのか、とうすら寒さを感じる。しかも、手や足のない、赤いスカートと腹部だけの少女・・・ロリコンを通り越して、一種の奇形趣味を感じるのは私だけだろうか。
ともあれ、そういうある種の不気味さを、子供たち自身もなんとなく察知しているんだなあ、と上述の替え歌を聴いて、思った次第だ。個人の嗜好に文句をつける気はないが、そういう嗜好を「良いもの」「子供のため」といったメッセージにすりかえるのはやめてほしい。無料配布している下記の画像も、男の子と女の子の位置関係が、大人の視線でみると、うーん、なんだかなあ(汗)。しかも女の子は上目づかいだし。

ps. アニメ版「アルプスの少女ハイジ」の冒頭の歌でハイジが巨大なブランコをこいでいるのを下から眺める構図。あれも宮崎が作ったのだと最近きいて、ものすごく納得がいった。無自覚な女の子の身体を眺める覗き見趣味。