ergo sum

健康ブログであるような、ないような

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 陣取りゲームをしないで済む強さ

うちの子や小学生になるトラ君のことなど、子どものことを考えていたら、安富歩さんの、こんな記事に行き当たった。女装の教授として好奇の目でみられがちな人だけれど、言っていることは至極正しい。(京大を出た東大教授で、しかもCross-dresser、という立場がこの人をより強く賢くしていると思う)

若い女性たちには将来、「子どものためを思って」というもっともな言い訳をして、自分の虚栄心を満たすために子どもを抑圧するような親には、決してならないでもらいたい。子どもっていうのは、そこにいるだけでいい存在だと受け入れてもらわないと、健全に育たない。[...]
現代の経済の競争力の核心は、技術や知識ではなく、感性にあります。何も感じないエリート男性たちが、陣取りゲームをやって必死で働けば儲かった時代はとっくの昔に終わっている。この国の感受性を守り、創造性を回復することができるのは女性たちです。日本の女性は男性よりもシステムに組み込まれずに生きることが容易なのです。それゆえ、自分自身の感受性を守り、何が好きで、何が嫌いか、を判定する能力を保持している人が多いと私は感じています。

男性社会=陣取りゲーム、はなるほどそのとおりだと思う。
たしかに「システムに組み込まれない強さ」が女性の強みだ。私も、組み込まれたいとも思わないし、いつドロップアウトしてもいい、と割り切って仕事している。だから無駄なことには固執しないで済む。
だけど、子どもにかんしては、「そこにいるだけでいい存在」として受け入れられたかどうか・・・ちょっと反省。抑圧しようとしたり、受験勉強を強いたりしたような気がする。受験が終わった今ではなく、もう少し前に、ありのままの受け入れをしたかったと、思う。
でも、もう、子どももわかっていて、許してくれるような気がする。


おまけの引用。これはがん患者について言えることだ。

嫌なことを我慢して自分を抑え込んでいると、確かに痛みを感じなくなりますが、同時によろこびも感じなくなります。

「闘病」にこだわっていると、よろこびが麻痺して皮膚がバリバリのカブトムシみたいになる。だからストレッチをすると、すこし人間らしいやわらかい体と心が取り戻せるような気がする。私の勝手な実感だけれど。