ergo sum

健康ブログであるような、ないような

はてなダイアリーからの引越しにつきリニューアル模索中。

引き続きどうぞよろしくお願いします。

 三日目

葬儀当日。近親者だけのつもりだったのに、面識のない仕事関係の人が来ている。どうやら斎場の経営者が仕事上の知り合いだったらしく、自発的に来てくれたらしい。返礼も何も用意していなかったのに。やれやれ。世間は狭すぎる… 哀悼の意を表してくれるのはうれしいとしても、その後延々と仕事や財産処分の話をするのはやめてほしい。地方の人は葬式外交慣れしているからなあ。
葬儀は住職の見事な読経で無事に終わり、みんなで棺に花を入れた。このあと斎場のB市からC市まで各自乗用車で分散して火葬場に向かった。霊柩車がゆっくり走るのは、なるべく棺を動かさないためらしい。霊柩車に同乗していた弟が運転手から聞いたところによると、車の揺れのせいで中身が動いて横向きになることもあるらしい。その場合は火葬場でも小窓を空けずにそそくさと火葬するそうだ。
火葬場といえば、私が6、7歳の時の祖父の葬儀が記憶にあり、事情がわからない弟が「おじいちゃん、お風呂入るの?」と尋ねたことをよく覚えている。私たちにとって初めての生々しい体験だった。今回、うちの子や弟の子らにとっては初めての近親者の本格的な葬儀だったのでショックを受けるのではないかと心配したが、弟と私が淡々と処していたせいか、それを真似て普通に振舞っていた。現代っ子は案外平気なのだろうか?待合室でおにぎりをばくばく食べていたし。
その後、寺に移動し、お墓に納骨した。「納骨は男の人なら自分で簡単にできますよ〜」と住職は言い放ったが、難色を示したら、住職が業者に頼んでくれて、サービスでやってくれることになった。骨壷はまだ熱く、業者はやけどをしないように分厚いゴム手袋をはめていたのが印象的だった。
無事骨壷が地下に納まったとき、親しいIおじさんが、ふと言った。
「今何時?」
「3時50分過ぎですが…」
「亡くなったのって何時だったっけ」
「書類によれば・・・15時56分でした」
ちょうど同じ時刻という不思議な偶然にびっくりした。本来11時に葬儀を開始し、移動後15時に火葬場到着の予定だから、納骨は夕方遅くになると思っていた。しかし葬儀や移動が予定より早く進み、火葬場でも予定より早く仕上がったのだった。
彼も早くお墓で休みたかった。私たちも早く帰宅したかった。だから手伝ってくれたのかもしれないねえ、などと言い合った。

その後寺の境内に戻ると、住職から檀家の心構えなどを延々と説教された。定期的な法事の必要性などなど。
そのときIおじさん(87歳)が助け舟を出してくれた。
「わしゃあ先先先代の住職をようく知ってました。子供の頃、お堂で相撲をとったらいつも叱られてのう。・・・おや、お隣の○○寺は永代供養塔を立てなすったかあ。これから需要がありますからなあ。お宅もどうですかねえ・・・」
せっかく弟一家という檀家を確保したのに、変な知恵をつけられては困る、と焦ったのか、住職の話はこれで終わった。