ergo sum

健康ブログであるような、ないような

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 父退院

まだ五分がゆではあるが食事もとれるようになったので、日曜日に父は退院となった。放射線外来通院期間も合わせると全部で二ヵ月半の滞在となった。けっこう長かったなあ。手荷物など持てそうになかったので、病院から宅急便で送った荷物が2個、私の自宅から送った荷物が2個。入院時は真夏だったので、着なくなった夏服が大変を占める。病院から駅まではタクシー、その後ホームまで同伴して直通電車に乗せ、夕刻無事家に着いたそうだ。
駅を出たとたん、大きな開放感を覚えた。父のことは父任せと決めたけれど、こちらの病院にいる限りは何かあったら私が全部責任を取らなければならない。いつ携帯が鳴るかわからず、びくびくする。場合によっては仕事を休まなければならない。こういうプレッシャーが消えたことの意義は大きい。帰り道、いつもは忙しくて素通りする公園の犬の石碑をなでてみたり、橋から川の水面を覗いてみたりした。余裕を実感したかったんだろうと思う。
その散歩がいけなかったのかどうか、帰宅したら鼻水と喉痛が止まらなくなり、いわゆる風邪を引いたことに気づいた。


それにしても、父の金銭感覚には振り回された。入院当初は「すべて自分で出す」と宣言して、ペットボトルひとつにしてもきちんと財布を渡してよこしていたのだが、一度こちらが出してしまうとそれが当然になってゆく。一枚1000円の病室のテレビカードも一度私が買ってきてやると、二度と自分で買おうとしない。一日数枚の割合で消費するのでかなりの出費だ。といって放っておくと、ほかにすることがなくて同室の人に迷惑をかけそうなので、ついつい買ってしまう(そこの私の心理が読まれている)。具合が悪かったからだけでなく、意識的にやっているような気がする。
その一方で、病院の売店や外の店舗で多額の買い物をしている。しかもいらないものばかり。


極め付きは、今回の退院時の費用だ。
「退院代を払おうと思って、A銀行の口座から20万を引き出してB銀行の口座に入れたのだが、数字を間違えたらしくてB銀行のカードが使えなくなった。B銀行の○支店に電話して、支店長を呼び出すように言ったが、事務の若いのしか出なくて埒があかん」
「銀行に行ってロック解除してもらえば」
「今日は日曜だ、まにあわん」
「なぜわざわざB銀行に入金したの?」
「A銀行は危ない。つぶれるかもしれない」
「それなら現金でもっていればよかったのに」
「いや、盗難の恐れがある」
「じゃあA銀行の口座から出せば?」
「そっちは仕事上の出し入れがあるからこれ以上使えん」
本当に経済的に苦しいので一時的に立て替えてくれ、と頼むのならば、こちらも応じないではない。だが、あくまで自分のプライドがつぶれないようなウソをついて、子どもが払わざるを得ないように仕組んでいく。もちろん返すつもりはない。それ以外にも子どもが立て替えている件が多々あったので、これにはかなり腹が立った。だが正面から議論しても逆切れされるだけだ。
本人はこれで支払いを免れたと思いご機嫌だったが、幸いなことに、退院当日はまだ会計ができておらず、振込みか次回外来時の支払いを求められた。
「この次の外来のときに、自分で支払うように」と言ったら憮然としている。
「いや、俺としては病院にすごくお世話になったのですぐに払いたい。とりあえずお前(息子)が今日払って、そのあとお前の銀行口座にすぐにB銀行から振り込む」
振り込んだはずが銀行のミスで送金できなかった、などのウソをつくことが明らかに予見された。
「だから外来時に自分で直接現金で払うように。期日を過ぎたら、今後二度と診てもらえなくなるよ」
そういって脅しておいた。実際はこの外来を最後に、当K病院には二度と行かせず、地元の病院に移すつもりなのだが。


父とは十代以来ずっと離れて住んでおり、たまにしか会わなかった。今回大きい病気になったし、ほかに身寄りがないから、弟と私でできるだけのことはしたつもりだったが、接すれば接するほど、問題のある精神気質だということがわかり、苦痛になる。
自分が払うことイコール「損」や「負け」としかとらえられず、家族だろうが他人だろうが、いくら迷惑をかけても平気。そのポリシーを守るためにどんなウソでもつく。
もっとも、これだけ巧妙な(?)ウソをつけるまでに回復したので、頭の方はばっちりだろう。この詭弁で今後も自力で乗り切ってもらいたいものだ。


Ps.今朝起きたら激しい歯痛があった。神経性のものだとは思ったが、今、ブログを書き終えたら、すっかり消えていた。助かった〜