ergo sum

健康ブログであるような、ないような

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 怒りは隠すな

人は怒りを隠すことで、これを身体に取りこんでしまう。〔…〕わたしとしては、先にのべたような賢い人となりを見せんがために、自分の気持ちを窮屈にするくらいならば、むしろ、少しばかり八つ当たりぎみでもいいから、召使いのほっぺたにびんたでもくらわせることをお奨めしたい。わたしは感情を自分のうちに抱えこんで、辛い思いをするよりは、それを外に表すほうが好きなのだ。感情というものは、吐き出してしまって、気持ちをいってしまえば、弱まるものなのである。感情の切っ先をわれわれ自身にむけるよりは、外で動かさせるほうがいいモンテーニュ『エセー5』)。

ぱらぱらと見ていたら、この頁が偶然目にとまった。怒りを「身体にとりこむ」ことで、いろいろな病気が発生することを16世紀の人も知っていたんだなあ。それこそモンテーニュプロテスタントカトリックが血を流して殺しあう宗教戦争のさなかに生きていた人だから、その「怒り」の度合いは、職場にいやな上司がいる、といった私たちのレベルを凌駕していたことだろう。こういう乱世では、生き残るには、心と向き合わなければならない(むしろ体は二の次だ)。だから戦国武将などでは徳たけた人が多いのだろう。
と、怒りに任せて自滅しかけていた私が考える。聞きかじった俗説によれば、すぐに怒るタイプの人は胃痛もちだそうだ。怒らずにぐっとこらえるタイプはその下、大腸に影響が来る。それから乳がんの患者は、いわゆる「長女タイプ」なので、他者を怒ることすらできず、自分自身に罪悪感を感じ続けるそうだ。だから胸に来る。経験的にはこうした俗説はぴったり合っているような気がする。それぞれ知人の胃がん、大腸がんの人はそんなタイプだった。
うーん、それから、ときどき息子に八つ当たりしているような気がするけれど、これは精神衛生上はよいのかもしれない。そんなとき息子は私の矛盾点や一貫性のなさを冷静に突いてくるが、だからといって、それでグレたりするわけでもない。まあ、寛大に受け止め、付き合ってくれているのかもしれない。感謝だね。
エセー 5