ergo sum

健康ブログであるような、ないような

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 乳がんとたばこ

cypres2010-05-07

片づけをしていたらあっというまに連休が終ってしまって、なんだかくやしい。どこへも遊びに行っていないし。
さて、乳がんとたばこは、がん研のサイト(グラフはここから引用)にわかりやすく示されているとおり、かなり相関性がある。たばこは危険なのだ。面白いのが、影響を受けるのは閉経前女性で、閉経後女性はほとんど影響がないということだ。おそらく活発なホルモンの産出にたばこのもつ発ガン成分が作用するのだろう。
私は喫煙者ではないので関係ないトピックだと思っていたのだが、おとといのテレビで「受動喫煙の恐怖」をやっていて考えを改めた。番組の内容は、受動喫煙によっても肺がんになる、というものだ。そういえばフランス人の友人が、「友だちの女性は、自分が吸わないのに夫が喫煙していたために乳がんになった」という言い方をしていたのを思い出した。そのときは、乳がんの原因はほかにもあるのでは、と思ったのだが、今となってはありうる話だ。だがそういう「言説」そのものが日本では好まれないし、乳がんの原因は俗世間では未婚だの高齢出産だの、女性のライフスタイルのせいにばかりされるので、当面日本人は「受動喫煙乳がんになる」(閉経前は2.6倍の発病率!)とは認識しないことだろう。ためしに、患者に「わがままな喫煙者の夫」がいるかどうかアンケートをとってみたらいいかもしれない。かなりのパーセンテージになるのでは。
口で吸う煙よりも副流煙の方が発がん物質の含有量は何倍も高い。たとえ家庭内で配偶者が分煙していたとしても、扉の隙間や喫煙者の口から煙が漂うので、恒常的にWHOの安全基準をはるかに越えた煙に接触することになる。それをテレビは実験によって数値で示していた。ベランダで吸えば大丈夫のように思えるが、サッシの下を通ってかなりの煙が流れ込むのだ。目に見えないだけで。
私の配偶者が喫煙者で、最近は廊下あたりで臭うので心配になり、分煙していても危ないんだよということを言ったら、彼は怒った。1.俺の健康気にするならともかく、自分のことばかり言うとは何事か(Res: 自分の健康心配したいんだったらさっさと禁煙しろよ、それに私が私の健康を気遣うのはあたりまえの権利だ) 2.煙と匂いは違うんだ、そんなこともわからないのか。しかもたばこの害は科学的に証明されてないぞ(Res: だから証明されてるんだってば。あんたが研究読んでないだけで) 3.禁煙キャンペーンは政府とマスコミの陰謀で、やらせだ。あんなものに乗せられている日本人はバカだ。お前もバカだ(Res: お金と健康を犠牲にしてたばこ吸ってるやつの方がもっとバカだ)。
いやいや、この言説そのものが観察対象として面白いので書いてみた。自分が好きでやっていることに対して、世の中全体が否定的な風潮になったとき、必ず出てくる男の言説だ。本質はただのわがまま他人に迷惑かけてるだけなのに、科学や知は自分の側にあり、世間の方がバカだとする論理構成。そして女は「男の健康を心配する」のが仕事であって、男の趣味を否定するなんて言語道断。これは典型的な男ジェンダーの発想で、こういうシチュエーションだと奴らは本当に「キレて」怒り出す。自分の知的優位性と「陰謀」を本気で信じてるからだ。「禁煙ファシズムと闘う」とか言ってる男性知識人たちを、私はヘドがでるほど嫌いだ。名前は挙げないけどね(挙げたら粘着な書き込みされそう)。そもそも自分の気に入らない「全体的な傾向」があるたびに、それを「ファシズム」と名づけて無条件に悪だと断定すること自体が、知的に劣ってる証拠じゃないか。俺たちは「自由」のために闘うヒーローだってゆう陶酔も、5歳児並だし。あんた一人のわがままのために、なんで他人が健康を犠牲にしなければならないんだ。
そうそう、北原惇氏の『脱西洋の民主主義へ』が書いていたが、自由には二種類ある。「したいことをする」正の自由と、「したくないことをされない」負の自由と。そして正の自由よりも負の自由が優先されるのが、本当の民主主義だ、と。なるほど、「好きにたばこを吸う自由」よりも、「かぎたくない煙をかがない自由」「なりたくないガンにならない自由」の方が優先すべきだ。うそ臭いリベラリズムの名のもとに、実際には力をもつ者たち(政府、男)好き勝手やって、しかもそういう正当化が通用してしまっているのが日本の醜い点だとつくづく思う。ちかんが多すぎて女性専用車ができたときの反応もそうだし、言葉のハラスメント防止運動に対して「表現の自由の侵害だ」とかわめきたてる学者なんかもそうだし。もちろん、被害を受ける側の苦痛なんて、これっぽっちも想像しないし、できない
脱西洋の民主主義へ―多様性・負の自由・直接民主主義