ergo sum

健康ブログであるような、ないような

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 「あきらめない」というボタン

cypres2008-04-01

京都旅行のついでに京大博物館に立ち寄った。京大は猿の研究で有名だが、いろいろな映像をモニターで見せてくれる(子ども向け)。道具を使って魚釣りをする様子など・・・ そのなかに「あきらめない」というボタンがあったので押してみたら、女の子のチンパンジーが石で木の実を割ろうとする姿がずっと続く。人間だったら、あれ?と首をかしげたり、方法を変えたりして、5分経ってもだめならあきらめることだろうが、そのチンパンジーは同じ動作を同じ調子でずっと続ける。そして、30分くらい経つと、木の実が割れる。猿はあたりまえのように木の実をほおばる。印象的な光景だった。
それは何を意味しているのだろうか。もちろんその猿は、「なせばなる」「気合だ!」というような根性でがんばったわけでは「ない」。ただ淡々と割り続ける。なぜならば、「割れない」とは「思わない」からだ。だめだと思うことこそ、特に自分にはその力がないと思ってしまうことこそ、人間の一番の欠点なのだ。あるいは、昔の国語の教科書に出ていた虫の話・・・ぶかっこうで、物理的に飛べるはずのないつくりなのに、その虫はぶんぶん普通に飛んでいる。なぜならば、飛べないとは思っていないからだ。
というわけで、またしても病気の話にひきつけて考えるなら、「治らないかもしれない」なんて思うから、治らないのかもしれないなぁ、と思った。淡々と石で木の実を割るような作業を、自分もなにかしてゆきたいと思った。