ergo sum

健康ブログであるような、ないような

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 人に糧を

それでよい、俺の生涯は人に糧を与えて、自らは忘れられる生涯なのだ! (『シラノ・ド・ベルジュラック』)

致命傷を負った末期のシラノに対して、モリエールがシラノの戯曲の一部を盗作した、けしからん、と憤慨しながら伝える友人のル・ブレに対して言った言葉。死ぬ間際となっては、自分の「名誉」だの「プライド」だの、はたまた「オリジナリティー」だのいう言葉に拘泥しても、もう虚しい。なぜならば、自分の名誉なんてものは、自分が死ねばなくなってしまうし、自分を満足させる効果しかもたないからだ。だが、人に何かを与えたら、その人が生き延びてくれるし、またその人が別な人にそれを伝えてくれるかもしれない。そういうことの方が本音でうれしい、という心境。(そういう発想で、愛するロクサーヌのことも、親友クリスチャンに譲ってしまうのだが)
「死」の恐ろしさは自分が忘れ去られることだと以前思ったりしたが、そうじゃないのかもしれない。「死までに、何もしないこと、できないこと」の方が恐ろしいのかもしれない。子どもに糧を与え、また、魂の糧を与えること。あるいは教師が生徒に何かを伝えること。それはとっても意味のあることかもしれない。聖書の「一粒の麦、もし死なずんば・・・」というのも、そういう意味なのだろうか。

シラノ・ド・ベルジュラック (岩波文庫)

シラノ・ド・ベルジュラック (岩波文庫)