ergo sum

健康ブログであるような、ないような

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 山崎豊子『白い巨塔』

白い巨塔』と言えば、何十名もの白衣の医者が行列を作る「財前教授の回診です〜」シーンが思い浮かぶ。小説は中学生の頃に一度読んだはずだが、当時はわからないことも多かったと思う。「大人の世界って汚いなあ」くらいの印象ではないか。
「大人&社会人&病人」になった今回、改めて読み返してみるととても面白かった。大学病院という組織のあり方、社会における成功の仕方等。昔読んだときは「学閥で人事を決めるなんて汚い」と思ったが、学閥なんてまだましな方だ。私の職場では「同じ中日ファン」だから、「こないだ飲み会で鳥カラをおごってもらったから」程度の理由でどんどん人事が決まっていく。最低だ。
財前は野心の塊のように描かれているが、あのくらいは普通。ステータスある社会で生き残ろうと思ったらもっともっと野心的でないといけない。それを改めて感じた。私もこの病気が一区切りついたらいろいろとやることがある…
誤診訴訟の争点の一つは、主患部(胃噴門部)の手術によって肺転移部分の増殖が加速し、それが患者の死因となったかどうかだ。ほんらいてきに手術は侵襲度が高く、血液等を介して転移を発生させたり、既転移部分の憎悪を招く…なんていわれると「わ、私の場合は…」などとドキドキし、臨場感いっぱいになる。「医者はがんを見てはいけない」と言われる通り、手術中にもしがんそのものを目にしたら、そこから全身にどっと細胞が散らばるものだと考えていいようだ。つまり断端陽性って… もっとも本作は何十年も前の執筆なので、今なお医学的に妥当かどうかは知らない。こんどオンライン相談で質問してみようかな。
鑑定人の唐木教授は言う。

医師が自分の方法を信奉し、しかも学科の大部分から承認されている医学理論に基づいて診断し、処置を行った限り、その治療の結果の良否をもって、医師の過失の有無を判断すべきではないと思う。(t.3, p.308)

つまり上記の条件を満たせば、結果的に患者が死んだり再発したりしても医者は責任に問われない。裁判所は医師のモラルを裁いてはくれない。だから、患者は自分で自分を守らねばならないのだ。
白い巨塔〈第1巻〉 (新潮文庫)