(新年のご挨拶に代えて)
主は与え
主は奪う
(ヨブ記1章)
それは、こういうことでもある。
主は奪い
主は与える
年末に仙台に旅行に行った。
2011年の津波の被災地である仙台市の荒浜地区を訪れた。
ひとつの村だったものがきれいさっぱりなくなっている。
きれいすぎて実感がわかないくらい、何もない。
住民たちの苦痛や恐怖を想像しようとしてもできなくて
罪悪感を感じるほどに、きれいなのだ。
そして海は陽を受けて燦然と輝いている。
ただ海辺はとてつもなく寒かった。雪が舞っていた。
さあ車に戻ろう(私たちには暖かい場所がある)。
ごはんに行こう(私たちには食べ物もある)。
そう思ったら、息子が突然一直線に海岸に向かって歩き始めた。
黙って延々と歩みを進めるので
もしやこの海に飛び込むのでは、と心配したほどだ。
岸辺で少ししゃがむのが見えた。
そしてゆっくりと歩いてこちらに戻ってきた。
「ほら、牡蠣の殻だよ」
手のひらには昨日食べたのと同じ大きさの牡蠣の殻が握られていた。
誰もいないだだっ広い海辺を一人で歩む姿は
映画の一場面のようだった。
この写真はそのときのものだ。