ergo sum

健康ブログであるような、ないような

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 「たいへんだ」

けさ8:30頃携帯が鳴り、父の声で「すぐに来てくれ、病院がたいへんだ」。
夜中に大暴れして備品でも壊したのか、と慌てて病院にかけつけると、なんともない。看護師どうしが喧嘩をしているので病院がたいへんだ、という妄想による電話だった。寂しくて来てほしい気持ちもあったのだろうが、こちらとしてはたいへん迷惑だ。前回のyoccyannさんのコメントのとおり、私一人が、子どもを守るようなスタンスで面倒を見ていたので、彼の方も甘えているのだと思う。だが、自立してもらわねばならないこと、せめて意識的な虚偽の呼び出し等はしないこと、などを釘を刺しておかねば。

ついでなので担当医と話した。今後呼び出すときは病院側から呼び出す。本人の電話は真に受けなくてもよい。
点滴の内容物が、炎症止めのステロイドともうひとつ何か、それから痛み止めの麻薬系のもの、それらがよりせん妄を起こしやすくしているそうだ。ふむふむ。今は放射線による炎症が一番ひどい時期で、食事も停止している。ここを乗り切って、頭も戻ってくれるといいのだが。
最後のケモの一回が今日はできなかった。調子が戻れば数日内に、戻らなければこのままラジ以外の治療は打ち切りになりそうだ。

うーん、今の心境だけど、たしかにすごくめんどくさい。うっとうしい。疲れる。この件がなければ、もっと好きなことをできるのに、という気持ちはある。だが、老人がボケること自体は自然なことだし、仕方ないという気もする。ボケていなくても、自己愛性人格障害など精神疾患スレスレの仕事仲間などもたくさんいるので、ちょっとボケかけた老人が特別異常な存在だとも感じない。また、息子など愛する対象がこういう状態になったらとても悲しいが、父がボケるのは悲しくはない。あとは、彼が他人に迷惑をかけて、自分自身が卑屈になったり劣等感をもったりするのを避けたいだけだ。
ほんとの福祉国家であれば、こういうのはすべて行政がプロとして面倒を見るはずなのだが、日本は結局すべて家族の連帯責任。家族の自己負担。それでいて税金は高い。北欧並みに10%以上をとろうとしている。こういう構造には腹が立つ。
そんなことをつらつら思いながら、病院と地下鉄の駅の間、久しぶりの午前中の晴れ間を歩いていたら(もちろん、ちょっとバレエ風のかっこよい歩き方ね)、思わぬ朝の体操になった。これで今晩はぐっすり眠れるかもしれない。
この件で自分の時間を使われるのはたいへん迷惑だが、その使われた時間を有意義に使えばよいのではないか。ついでに太陽を浴びるとか、思索するとか、待ち時間に読めなかった本を読むとか。そんなふうに考えた。うまくいくといいな。