ergo sum

健康ブログであるような、ないような

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 嫌いなもの

私の嫌いなもの、「全体主義」。全体主義というと、遠い戦争中のナチスのことかしらんと思う人もいるだろうけれど、さにあらず。それはいろんな仮面をかぶっているけれど、一番生き生きと根付いているのは、日本。みんなといっしょ。横断歩道みんなで渡れば怖くない、そういう空気。みんなといっしょだと、まったく罪悪感がない――その怖さ。まったく批判精神がなくなる――その怖さ。(余談だが、わが社の労働組合は「左翼の皮をかぶった右翼だ」と同僚が怒っていた)
某MLに入っているのだが、そうした空気がいつも漂ってくる。牛乳の危険性を指摘した病理医が自発的な退会に追い込まれたことは以前述べた通りだ。その次は、「玄米食は世間で喧伝しているほどには効果がない」、「効果があるとすれば再発後ではなくて、発病予防に」などと指摘した医師に対して、「再発患者は治らないとでも言いたいのか!」という筋違いの食ってかかりかたをした患者。そのまた次は、美容のためのプラセンタ注射は(細胞増殖を促すので)危険だと指摘した医師に対する批判。
牛乳でも玄米でも美容でも、みんながあたりまえに良い物だと思うものを批判すると、それに対しておそろしく攻撃的な反論が返ってくる。自分は多数派で強者で正しいと思うから、際限なく傲慢になる。理性も科学もふっとぶ。きっとそういう人は、健康に対する俗説を信奉する以外に自分が社会で強者になれる場がなくて(つまり本当は社会的弱者)、必死なんだろうな。
玄米に消極的な医師の投稿に対してどういう抗議がなされたかというと、「あまりにKYな発言はやめてください」。ぷぷっ(最凶さんの口癖が移ってしまいましたわん)、科学的根拠を問いただすとか、自分の信念を主張するとかでなく、医者に対して「KY(空気読めない)」だと批判する、そのバカらしさ。患者たちが「藁にもすがる」健康法で必死こいてることくらい、医者は「読めてる」。それでも、少しでも金と労力のムダを減らしてやろうとアドバイスしただけなのに。これじゃあ良心的な医者はどんどんMLから減っていくはずだ。逆にMLの主流派気取りの患者たちは、病気とは全く関係ない個人的な話題(旅行とか育児とか)を垂れ流してゆく。そしてそういうものをありがたがらなければならないような風潮になっていく(あら?どこかのピンク色の患者会とおんなじ構造ですわね)。そして…気がつくと、メンバー全員がなんらかの営利企業や思想のなかに取り込まれていく。気づいた頃には手遅れ。(某会なんかもう、僕は死にましぇん、と誓わされちゃったもんねぇ)
MLとか患者会ってのは、社会組織の末端、つまり一番下の現実だ。そういうところこそ、常日頃、危ない全体主義の萌芽がふつふつと沸き続ける。それはいつ膨らんで暴走するかしれない。あたかもガンのように(この譬えは嫌いだったが、敢えて使わせてもらう)。そういう萌芽が現れるということは、その環境が狂っているということだ。そして社会にとっての免疫とは、良心であり、理性であり、教養である。yoccyannさん風に言うと、信仰や祈りである。
最後に川柳を。「プラセンタ みんなで注射すれば怖くない」「ホルモン牛乳 みんなで飲めば怖くない」