ergo sum

健康ブログであるような、ないような

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 筋肉痛による瞑想

お盆の休養はあっという間に過ぎ去り、その後仕事の締め切りで多忙な日々。それなのに泊りがけで親戚が遊びに来ることとなり、家を片付けなければならない。うちの散らかり具合といったらハンパじゃないので、片付けにはたいへんな労力がかかる(あと、きれいにしなきゃ、という私の見栄もあるんだろ)。普段は運動不足なのに、突然重いものをもったら翌日、かなりひどい筋肉痛あるいは肉ばなれを起こした。ベッドで寝ながら思ったのだが、二つの考え方がある。
A.たかが筋肉痛だ。年のせいだ。死にやしない。時間がたてばどうにかなる。少し休め、というからだのメッセージだったんだろう。喜んで寝ていよう。普段読めない本が読めてうれしいぞ。
B.立ったり坐ったり、これまであたりまえのようにできたことができないのがストレスだ。トイレもつらい、入浴もつらい、たいへん迷惑だ。この痛さは尋常じゃない。大きな病気が背景にあるのではないか。ネットで調べてみよう。おや、リウマチとか通風とか?病院に行くべきかもしれない。だが、医者がヤブ医者で背後の病気を見落とすかもしれない。シップだけ処方されても無駄な気がする。ああどうしよう。

で、私はBのタイプなのだ。何事も悪い方に考える。たかが筋肉痛なのに本気で暗いことを考えていた。だがまてよ、と思った。「筋肉痛」を「がん」におきかえてみたらどうだろう。AタイプとBタイプ、どちらの回復が早いのかと考えると、どうみてもAに違いない。現状を肯定的に受け止めることでストレスを消去している。一方Bは、自分の過去との比較やら、医者不信やらで、ネガティブスパイラルを作り出している。もしかしたら、こんなものの考え方そのものががんを作り出したんじゃないかな、と思った。頭でっかちで、自分の体からのメッセージを無視し続けた状態。それがこれまでの私だった。
まして、筋肉痛と違って、がんは「症状」がまったくないのだ。それなのにBのように考えるのは、とてもとても損なような気がする。そうやって墓穴を掘るのはくやしい。世の中のがん患者の大半が、無意味にとらわれている死の恐怖を、「がん呪縛」と言うらしい。悪い魔女に呪いでもかけられたように、死や不幸の脅迫観念にとりつかれてしまうのだ。でも、実はただの呪い(犯人は製薬会社とか、医学界とか、営利企業ね)でしかないことに気づくと、なんとまあ、晴れ晴れとした自由な気持ちになることか。まあ、最近はそういうことがわかってきたし、かなりAタイプに変わりつつあるんだから、私としてはよかったよかった。