ergo sum

健康ブログであるような、ないような

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 聞き込み

「○○署のものです。木曜2時頃に不審な物音を聞きませんでしたか?」
火曜サスペンスなどの刑事ドラマの見すぎのせいだろうか、こういう場面に憧れていて、一生のうちに一度は体験したいと願っていた。そしたら今日、その夢がかなった。本当に警察の人が来たのだ。警察バッジは銀色にぴかぴか輝いていて、まるでおもちゃのようだった。
近所の学校の窓ガラスが大量に割られたという。夜中に不審な物音を聞かなかったか、という質問を受けた。そう、言われてみれば、その日、中学生くらいが深夜にきゃーきゃー騒いでいる声が聞こえてきたのを記憶していたのでそれを伝えた。おお、私は証言者になるんだ!と、喜んだのもつかの間で、名前や勤務先を聞かれたばかりか、なぜそんな深夜に起きていたのか、それがその日であること確信していることをどう証明できるのか、などと矢継ぎ早に質問が来る(FXという外貨取引でドルが暴落して焦っていたから覚えてる、とは言えず、仕事の締め切りが、と言ってごまかした)。証言を集めるだけではなくて、証言者の人間的な信用性credibilityを判断されているのだな、と思ったとき、ちょっと怖くなってきた。
「オートバイの音は聞こえませんでしたか?女子もいたっていう証言があったんですけど、そうですか?」などと次々と質問されると、次第に自分の記憶がわからなくなって、気がつくとすべてに対して「たぶん、ええ、そんな感じです」と答えている。なるほど、こういう風にして警察の誘導尋問で冤罪事件が頻発するんだな、と思った。つまり私は、警察官を前に、冷静に自分の記憶を辿り、語る、という作業が「できず」、むしろ目の前の頑強な二人の気に入るような方向にハイハイ言うことしかできなかった。そういう心境にさせたのは、そこに「権力」があったからだ。
同日、ある女性学系の勉強会の会報を見ていたら、こんな投稿をしている人がいた。彼女は自転車に乗っていたら、バイクとぶつかってひじを怪我した。なんとバイクの相手は警察官だった。相手の名前を聞こうとしたら、逆に警察署に連れていかれて事情聴取を受け、「私は無灯火で自転車に乗り、横断歩道を降りずに走っており・・・」といった、まるで彼女が悪いかのような文章を警察が勝手に作成し、サインさせられた。さらには、一言も言っていないのに、「私はとっさに顔をかばった」「晩御飯の準備をしようと急いでいた」とでっちあげられそうになったという。「顔をかばった」とすることで、ひじの怪我を彼女自身のせいにし、「急いでいた」とすることで、彼女の前方不注意を強調する魂胆だろう。女だから顔をかばうのはあたりまえ、女だから晩御飯の準備はあたりまえ、という女についての通俗的なイメージを利用して、男(警官)を正当化しようとしている。なんか、いつもこれだな、と思った。セクハラ被害者が、派手な格好をしていたから責任があるとか、ストーカー被害者が、男からプレゼントをもらっていたから、非があるとかいう、責任転嫁。こういうところで、「女であること」は悪用されていると思う。
バイク事故で言うならば、たとえ自転車側にどんな非があろうと、バイクの方が圧倒的に強いので、圧倒的に責任が重い、というのが常識だ。だがそれを知らないと、自分が貶められてしまう。他方、権力のある側は知恵や知識をたっぷりもっている。それを活用する経験もふんだんに積んでいる。というわけで、人間の尊厳とか、人権とかいうのは、個人の「無知」をきっかけに、侵害されていくものなのだ。だからやっぱり教育って大切だ。