ergo sum

健康ブログであるような、ないような

はてなダイアリーからの引越しにつきリニューアル模索中。

引き続きどうぞよろしくお願いします。

メモリーは追憶ではなく

ミュージカル『キャッツ』を20年ぶりに見る。喬に見せたいと思った。自分ももう一度くらい見てもいいと思った。「いつか」などと言っているとその日が来ないような気がしたので、思いついた日にオンラインでチケットをとった。
グリザベラの歌う名曲「メモリー」。早水小夜子という人の歌は、縦に流れる物語の時間を、瞬間キャッツシアターいっぱいに膨らませて極限まで膨張させるような力をもっていた。それは言いかえれば彼女自身の人生の時間を、舞台の上で空間として一瞬に昇華させる力であり、技だ。そういう技をもちて披露することのできる人を、ほんとうにうらやましく思う。歌という道に命をかけないと、こういう特権は味わえない。
ここでの「メモリー」は過去の追憶ではない。池田雅之の解説によれば、過去を克服して未来につながる瞬間の意識である。そうして初めて、体験=メモリーを、「幸福」に帰すことができるのだ、と。原作エリオットの詩「四つの四重奏」からの引用をしておこう(パンフレットより)。

私たちは体験を積んではきたけれど、その意味を見失ってきた。その意味に近づこうとすれば、別のかたちで、その体験を甦らせてみることだ。そしてはじめて、私たちは、あらゆる意味を超えて、その体験を幸福に帰すことができるのだ。

幸福は、今どこかに転がっているのではない。
今ここで、過去を幸福にする私がいるか、いないか、なのだ。