ergo sum

健康ブログであるような、ないような

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死について

死ぬついて考えるのは昔から好きだった。死の可能性をもつ病気になった今も、死について考えることがそれほどいやではない、ということに気づいた。ただし昨日など、夫が好奇心だけで、すごくのんきに「公園横の山さんっちのじいさん、死んだんだってさあー。こないだまでぴんぴんしてたから、きっと交通事故だねー」といったりするのはすごく腹立たしい。しかも子供の前で、大声で。乳がんI期の10年生存率は93%だからと、絶対死にやしないとたかをくくっているか、あるいはまた、私が死ぬなどと思いたくないからだろうか、それでも私の感覚を完全に無視しているという点で、無神経だ。おなじように10年後に7%の確率で、近所のご主人が、「○○さんちのおくさん、死んだんだってさー。しばらく入院してたっていうから、きっとガンかもねー」なんて好奇心半分で言うのだ。その場面を想像して、ぞっとした。