ergo sum

健康ブログであるような、ないような

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 笹舟

川べりに桜を見に行った。川を見て、葉っぱを見て、舟を連想したらしい。喬が「ママ、船つくろう。競争しよう」と呼びかける。自分でいろいろな葉っぱを折ったり結んだりしているが、なかなか舟が作れない。花粉症がひどいし、これから体操服のゼッケン張りをしなくちゃいけないから早く帰ろう、と思っていた私だが、一つくらい、と思って笹の葉で舟を作ってやった。あれは不思議で、端を折って、三つに切り目を入れて外側を合わせると、ちゃんと舟の形ができあがる。接着剤など使わなくてもいいところが「自然」だ。わぁ、と感心した喬は自分でもつくろうとする。まずは笹の葉をちぎりとるところから教える。なかなか力がいる。葉の付け根を抑えて茎側に向かって力をかけないといけない。葉をちぎり、適切な葉の選び方を学び(幅広で、乾燥していないもの)、そして舟のかたちにできるようになるまで十分くらい。ようやくできあがった二人の舟を、土手から川辺に投げ入れる。水面に散る桜の花びらと風に押されて、舟はふわふわと上流へと漂っていった。「ママ、舟を作ったのおもしろかったねえ」何度も喬は言う。うれしかったようだ。緑色の平面が、ちょっとした手の操作で舟の形になり、それゆえに水上に浮くまでの力を獲得することが、子供にはうれしくてならないのだ。蟻のごとき、舟上の客になったような気持ちをもつことができるのだ。
私はいつ頃、どこで、笹舟を作っていたのだろう。たぶん子供の頃だろうが、もう何も覚えていない。だが作り方を手が覚えているのだから、作ったことは確かだろう。そういう遥かなるふわふわした記憶を手繰り寄せてこの子に教えることは、とても貴いことのような気がした。今日のあの瞬間しか、なかった。もしあのとき、私が笹舟の作り方を教えなかったら、この子は一生舟の作り方を知らずに生きただろう。私以外に教える人間はいないし、私だって何年生きるかわからない。無限に時間があるわけではない。とくにこんな小さなことを教える時間は。だからこそ、一緒に笹舟を作るとか、花キャベツとキャベツの違いを教えるとか、そういう一つ一つのことが燦然ときらめいて見えてならない。