ergo sum

健康ブログであるような、ないような

はてなダイアリーからの引越しにつきリニューアル模索中。

引き続きどうぞよろしくお願いします。

 ばい菌と呪いとギエム

連休、皆様は十分休養なされたでしょうか。こちらは部屋の片付けだけで疲れきっていました。更新が遅れて申し訳ありませぬ。
sinkoさんとこのトラ君など、小さい子供にとっては、「守られていた環境」がいったん消滅するので、引越しはけっこう無意識的なストレスです。メンタルなフォローが必要なので、親御さんもお疲れ様です。

新しい職場は組織にも同僚にも恵まれ、満足している。あとは環境や仕事に慣れて、疲労を減らしていくだけだ。それはよいのだが、実は転職をめぐって、中傷など嫌がらせを受けている(継続中?)。それで思ったのだが、いわゆる嫌がらせや呪いの公式って次の式じゃないか、と思った。

 効果=(する側の思い込みの強さ)×(される側の自己否定感)

それが事実かどうかは関係ないのよね。。。だから防衛のためには、自分の肯定感を強くしないといけない。


そうだ、以前書いた「呪詛抜き」話の続きとして、わかりやすい「呪い」の体験例を書いておこう。これなら書いても支障はない。
年末に偶然チケットがとれたのでギエムのファイナル公演に一人で行った。子供の受験などのストレスから解放されて、S席で優雅にバレエ鑑賞と気分転換の予定・・・だった。
が、後ろの席から二人連れのおばさんの会話が聞こえてくる。

「ちょっと、あんたあ、かばん、膝におきなさいよお。床に置くとね、ばい菌が付いちゃうわよ」
「あらやだあ、そうねえ」
「ばい菌がうようよいるのよ、下は。こう、おしゃれしてね、きれいな若い女性でもね、かばん下に置いちゃって汚ったない人がいっぱいいるんだからあ」
「まあ、やだやだ。絶対上に置かないとダメねえ」

普段からバレエやクラシック鑑賞をするような層ではない、普通のおばさんたちが、ギエム人気にあやかって来ている。なにせ、おフランス、おオペラ座、稀代のエトワール、しかも限定ファイナル、っていうブランドづくしですもの。人は「商品」そのものではなく、他人との差異化という「記号」を消費する、とはボードリヤールの言葉だ。もっともギエムさんも公演回数を増やしてボロ儲けして、日本で一生分の財産を築いたようなので、まあお互いさまか。
さて、ばい菌の話が荒唐無稽であることはわかっている。どんなに石鹸で手を洗ったって一定の常在菌はいるし、人間も生物である以上、そういう菌と共存して生きていく。乾燥した床の細菌よりは、台所の包丁の取っ手や蛇口周りの方がはるかに有害菌が多いだろう。また「清潔」だけを取り柄として、「きれいな若い女性」といちいち張り合おうとする心性も気の毒としかいいようがない。細菌に関して「白か黒か」で人を分類することは不可能だ(それって、がん細胞の体内の有無で、人を白か黒かに二分することができないのと同じだ、でも人は自分が白だと思いたがる)。

しかし、だ。
おばさんたちがあまりに大声で、あまりに自信をもって話すものだから、気になってしまった。
私はふだんリュックを使用していて、中身がPCやら本やらで重たいので、いつも平気で床に置く。その日はスペースがないので膝上に置いていたが、すると手にあたるリュックの底部分が、なんだか汚いような気がして、落ち着かない。何度も持ち替えてみる。
ほら、カーテンが開いてバレエが始まったぞ。自分に言い聞かせるのだが、どうも集中できず、ときどき手についている「かもしれない」ばい菌のことが思い出されてしまう。
いかんいかん。
根拠のないことなのに、そして自分が気にしなければ済む話なのに、自分で自分を不幸にしている。
せっかくの*万円のチケットなのに。
せっかくのファイナルなのに。
せっかくのギエムなのに・・・

これがいわゆる「呪い」だ。困ったことに私はこういう不幸体質なのだ。
もっとも、ばい菌が気になったのは前プロだけで、後半は集中できたので、まあ、よしとしよう。しかもこの前座が、騒音としか思えない現代音楽を使った東京バレエ団の群舞で、きわめつけにつまらなかったので、実害はなかったと言える。(このバレエ団はコンテンポラリーをよく踊るが、何度みても、つまらなくてしょうがない。第九も退屈だった)
というわけで、皆様も「呪い」に注意遊ばされますよう。もっとも、これが「事実」ではなくて「呪い」だと気付くことが解放への第一歩だ。教育によって正しい知識を得ることも必要だ。そして慣れていけば平気になる・・・はずだ。そう自分に言い聞かせている。
(*ギエムさま、なんかへんなタイトルになってしまってごめんなさい。)